数あるサイトの中から「自由への招待」へアクセスしていただき、本当にありがとうございます!
このページでは、当ブログのコンセプトと、運営者である私のプロフィールを紹介します。
当ブログ「自由への招待」のコンセプト
当ブログ「自由への招待」は、【自分軸を確立して、自分らしく、自由な人生を生きる】をコンセプトとし、私のこれまでに培ってきた知識・経験に基づき、以下の内容を発信していきます。
- 自分軸を見つける方法・育て方・具体的な活用方法
- 常に常識を疑う考え方・生き方
- 会社員が独立して自由にいたるまでの生の体験談
私は現在、中小企業に勤める会社員です。しかし「人生の自由」に対し、とてつもなく強い関心があり、いずれは独立・起業して自由を掴む予定です。いえ、予定ではなく「そうなる」と決めています。
いうなれば現在の私は、会社員でありながら、人生の自由を模索している途中の立場。当ブログは私の発信活動の拠点であり、私のリアルの挑戦を見せる場でもあります。
もしあなたも私と同じように「お金・場所・時間・仕事・人間関係すべてが自由になる人生」に興味があるなら、一緒に「人生の自由を手にする一歩」を踏み出してみませんか?
一次情報に基づいた情報発信を心がけます
【自分軸を確立して、自分らしく、自由な人生を生きる】
上記のコンセプトに基づき、私が「自由な人生」を手に入れるために活動して得た知識・経験から、以下の情報を発信・解説していきます。
- 実践して「これは効果があるな」と思ったこと
- 本気でおすすめできる商品やサービスの紹介
- 人生の自由を手にするための知識・ノウハウ・考え方
「私が体験したからこそ、発信できる内容」しか、当ブログでは掲載しません。私だからこそ発信できる内容で、あなたを人生の自由へと招待します。
常に最新の情報を掴み、学び続ける
学び続けることができない人は、決して「人生の自由」を手にできません。自分軸を確立し、自分の人生を生きることは、世間と相反する価値観を持って進み続けるのと同じです。世間の考えに真っ向から立ち向かうのですから、学ばす・動かずして、自分の人生は決して手に入りません。
私は自由な人生を手にするために、常に学び続け、あなたの伴走者という立場から情報を発信していきます。
【随時更新】運営者「ゆうた」の経歴
ここでは、運営者「ゆうた」の経歴を一気に書いていきます。
1990年11月(0歳) | 沖縄県名護市で誕生 → 高校生まで暮らす |
2013年03月(22歳) | 地元の大学へ入学 → 学部で卒業 |
2013年04月(22歳) | 沖縄県のIT企業へ入社 Webライティングに初めて出会う |
2016年12月(26歳) | 初めてブログを立ち上げるも即挫折 |
2017年04月(26歳) | 結婚 |
2017年05月(26歳) | 父が役員を務める会社へ入社 |
2019年10月(28歳) | 愛娘の誕生 |
2024年04月(33歳) | フリーランスとして独立 → 大失敗 |
2024年11月(34歳) | 父が役員を務める会社へ再び入社 |
次に、現在の私に至るまでのストーリーを語っていきます。
わがままだった子供時代
子供時代の自分を一言で表すと「わがまま」でした。自分の思い通りにならなければすぐに怒っていましたし、兄や妹とも衝突することもしばしば。
とにかくゲームが大好きで、外で遊ばず一日中ゲーム。お母さんに怒られてようやくやめるほど熱中していました。
父も母も相当大変だったと思います。自分が親になった今、子供時代の自分を育てるのは絶対に嫌です笑
学校の成績に関しては、小学生の6年間は下の下でした。勉強嫌いでゲーム三昧だったので。
違和感を覚えまくる中学・高校時代
中学に上がるとバスケ部に入りましたが、1年も経たずに退部。バスケがあまり好きじゃないのもありましたが、一番の理由は上下関係でした。とにかく下級生への当たりが強い。理不尽。
「なんでたかが1、2年早く生まれただけの人間が偉そうにしてるの?先輩だから偉いの?偉かったら下級生にそんな接し方していいの?意味がわからない」
というのが当時の心情です。正直今でも思っています。
学生時代に特に違和感を覚えたのが「校則」です。靴下は白、眉毛は剃ってダメ、髪の長さは〇〇cmなど、「こんなの何の意味があんの?」と思えるようなルールばかり。
先生に「なんでそんな校則があるのですか?」と聞いても「そういうルールだから」「それが常識だから」としか返ってきません。
「いや全然答えになってねぇよ、ガキの俺でもわかるぞ。お前大人だろ?」と心の中で悪態をついていましたが、しぶしぶ従っていました。ですが、モヤモヤはいつまでたっても晴れません。
「あぁ、意味不明なルールがない環境で生きたいな」と思っていたことは、今でも忘れません。
社会へ嫌悪感を覚える大学時代
大学に入っても、私の違和感は増すばかりでした。私はドラマーとしてライブに出たかったので、音楽系のサークルに即入会。
しかし、またしても上下関係の気持ち悪さや、協調性が強制される環境、バンドメンバーとのコミュニケーションの面倒くささから1年も経たずにやめることに。
大学3、4年になると、周囲が就活を始めだしました。しかし私は卒業ギリギリまで何もしていませんでした。
就活があまりにも気持ち悪すぎたからです。嘘八百のエントリーシートを作るのも嫌でしたし、気色悪いハイテンションで面接に受け答えするのも大の苦手でした。今でも気持ち悪すぎて鳥肌が立ちます。みんなよくこんな茶番できるなぁ、と。
- 就活ってそんなもんだから
- それが社会の常識だから
- お前がバカで非常識なだけ
周囲の人間はこんなことばかり言います。
「社会に出るとこれがずっと続くのか…」と絶望。正直、「こんな社会に出るくらいなら、大学を卒業したら自〇しようかな」と思っていたほどでした。
それほど、私は社会に対して嫌悪感を覚えていました。偽りの面接。本当に気持ち悪いです。さっさとこの世からなくなってほしい。
社会不適合者、フリーターになる
正社員になるためには気色悪い面接に通らなければならなかったので、「だったら気軽に受けられるアルバイトの面接を受けよう」と思い、私はフリーターの道を選びました。
「正社員登用あり」の求人に応募し、「そこで正社員になれればいいかな」という軽い気持ちで、地元のIT企業へアルバイト入社しました。
そこで初めて出会ったのがSEOやWebライティングといった、今でも活かせるスキル。文章を書くのが得意なこともあって、社内最優秀ライターとして表彰された経験もあります。
私の人生で唯一誇れる経験かもしれません。
父が役員を務める会社へ入社
いつまでもフリーターでいられない、ということで、父が役員を務める会社へ入社させてもらいました。
入社当初は何もかもが「自由」で、後継者として仕事を頑張る毎日でした。
しかし後に、会社の環境がどんどん変わっていきました。
私が望む方向とは、全くの真逆です。だんだんと自由な働き方ができなくなったことで嫌気がさし、退職に至りました。
フリーランスとして自由を手にする!が…
自慢の文章力を活かして独立!するも、
- やる気が出ない
- 仕事が取れない
- 取れても契約先と連絡がつかなくなってしまう
うまく稼げず、貯金を切り崩す毎日。
何とか仕事をとるも、ひと月分の生活費には程遠いほどしか稼げていませんでした。
ついには、「もう自由は諦めて、転職しよう」と転職活動も始めました。しかし、偽りの志望動機を並べ立てて無理に自分を演じるのが苦手な私は、面接もうまくいきません。
社会へ復帰して再起を図ろうとしても、面接というクソみたいな壁が私の前に立ちはだかります。
仕事も面接も全くうまくいかない。夜は不安すぎて眠れないのでお酒を飲み、不安をごまかして無理やり就寝。そして自己嫌悪に陥りながら目覚める毎日が続きます。
そうこうするうちに、貯金が底をつきました。妻はそれでも全く怒らずに、決して私を見捨てませんでした。
それどころか「あなたを信じているから大丈夫だよ」と、私を励ましてくれました。
めちゃくちゃ嬉しかった。本当に、世界一の妻だと思います。
妻と娘に保険金を残して〇のうと決意
「貯金を食いつぶした俺にできることは、妻と娘が不自由なく暮らせるようにお金を残すことだ」
妻への感謝を示すために今の自分にできることは、それしかないと思いました。
しかし、フリーランスとして大失敗した私には、当然手元にまとまったお金はありません。
私は保険に入っていたので、私が〇ねば妻に保険金が入り、遺族年金と合わせて金銭面では困らない。
そう考えて、事故に見せかけて命を絶とうと決意しました。
約30年間生きてきた人生、本気で悔いはありませんでした。なんだかんだで幸せな人生でしたし。
今思えば信じられないくらい無責任で安直な答えですよね。

「てめぇは自分の娘に【父親がいない人生】を送らせんのか?」と。娘がどれだけ寂しい思いをすると思ってんだ?
しかし、当時はそんなこと考えもしませんでした。それほど追い詰められていたのだと思います。
そして、その日がやってくる
「今日が人生最期の日だ。ようやく、不安な毎日が終わる」
そう思って私が車を走らせて訪れたのが、沖縄県道115号線でした。私は愛車でゆっくりドライブするのがとても大好きで、この道はよく訪れるほど好きなドライブコースでした。
人生を終えるなら、最後にこの景色が見たい。
そう思ってこの場所を選んだのですが、命を絶つのにもってこいの場所と感じたのも理由のひとつです。この道は、山を登るように設計された広めの県道です。高い場所から愛車とともに猛スピードで崖下に転落すれば、まず助からない。加えて、平日の昼間はそこまで車が通らない。
仮に即〇できなかったとしても、通報が遅れればあの世に行けるだろう。そう思って、この場所を選びました。
「とはいえ、ガードレールが頑丈そうで厄介だな。どうやってここをぶち破ろうか?」
と、妙に冷静だったのを今でも覚えています。
100%命を絶つために全力でアクセルを踏む
近場の広場に車を止め、人生の最期にと、「みてね」というアプリを開き、娘と過ごした日々を振り返りました。
ゆっくりコーヒーを飲んで、〇ぬ前に聴こうと思っていた曲をかけながら、娘が誕生した日から思い出を振り返ります。
自分の葬式の時には、この曲をかけてほしいな、と思っていました。初めて聞いたときから、なんとなく以下の歌詞が大好きだったからです。
If I die tomorrow. I'd be all right
(もし明日死ぬことになっても、構わない)
because I believe that after we're gone
(だって、信じてるから。俺がいなくなっても)
The spirit carries on
(魂は進み続けると)
引用:Dream Theter -The Spirit Carries On-
「これが人生最期の6分38秒だ」
「さっさと〇んで、娘の守護霊になればいい。それが一番いい」
そう思って、曲を再生します。「みてね」というアプリには、娘との思い出の写真・動画がたくさん保存してあります。
娘が生まれてくれた日、妻が命をかけてくれた日、人生最高の一日。
初めて娘を抱っこしたとき
初めて手を握られた日
初めて爪を切った日
初めて「パパと結婚する」と言われた日
全部が私の宝物でした。
最期に、私が一番大好きだったお気に入りの写真を眺めて、妻と娘の今後の幸せを願って、
「もう、全部終わらせよう」
と決心。
駐車場の広場を出て、思いっきりアクセルを踏みました。
恐怖を覚えるほど加速する車。
段々と目前に迫るガードレール。
あと少しアクセルを踏み続ければ、こいつをぶち破れる。
確実にあの世に逝ける。
ようやく、この苦しみから逃れられる。
と思ったのも束の間、私は無意識にブレーキを踏んで止まっていました。
呼吸が乱れて、今まで感じたことがないくらい心臓がバクバクでした。生存本能が邪魔をしているようです。
心臓って、こんなに早く動くんだ。肋骨から飛び出るんじゃないか?と思うほどの鼓動でした。
手の震えも抑えられません。全然寒くないのに、真冬の寒さに凍えるように震えています。
足も顎もガクガクと震えていました。
「まぁ、初めての自〇だし、怖くなるのも無理はないよな」
と、冷静になり、元の位置に戻り、再びアクセルを踏みました。
さっきよりも強く、確実に逝くために、全体重をかけて。
しかし、次はガードレールよりもはるかに前にブレーキを踏んでいました。加速しようにも全くできません。
無意識のブレーキが私の邪魔をします。これでは、〇ぬなんて到底無理です。
「え?…なんで?………なんで?」
何度試しても、無意識にブレーキをかけてしまう。1回目に〇にかけたトラウマが、私の体に染みついたのかもしれません。
結局、アクセルを踏んではブレーキを踏む、ということを繰り返して、また近場の広場に車を止めました。
車を残して山の上から飛び降りることも考えましたが、それでは自〇と丸わかりなので意味がありません。
足を滑らせて転落した、という体を装うこともできますが、それなら猛スピードでガードレールに突っ込んだほうが〇ぬ確率が高い。
「何をしてんだ、俺は」
家族に保険金を残して命を絶つのが私の一番の目的です。人生最期のやるべきことです。
今すぐに崖から落ちることが私の至上命題です。
愛する家族のためにさっさと〇ねと、あえて強い言葉を使って、自分に言い聞かせていました。
にもかかわらず、事故に見せかけてあの世に逝くことも、自分で命を終わらせることもできない。
しばらく呆然としたあと、再度これまでの人生を振り返って、娘の今後の人生を考えました。
考えに考えた挙句「だめだ。やっぱり無理だ。俺は〇〇(娘の名前)を残して〇ぬことはできない」と思い、帰ることにしました。
「もう一回やり直せばいいか」
さっきまで〇ぬことばかり考えていましたが、憑き物が落ちたように妙に冷静でした。これまでの人生で経験したことがないくらい号泣したおかげでしょうか。
なぜか気分が前向きだったのも変な話です。
家に帰ると、いつもと変わらない日常を演出するために、夕飯の準備をしました。野菜たっぷりのシチュー、温野菜サラダ、だし巻き卵という、一切統一性のないメニューだったことを覚えています。
そしてその日に会った娘の顔が、今まで以上に最高に愛おしかったことも、昨日のように覚えています。あの時にブレーキを踏んでよかったな、と。
もう二度と、変な真似はしないと。
再び前の会社に出戻り
しかし貯金が尽きている事実には変わりがありません。時は一刻を争います。即入社可能な会社もありましたが、面接が気持ち悪すぎてエントリーすらできませんでした。
そこで私は役員である父に頼み込み、出戻りという形で前の会社に入社させてもらいました。フリーランスになって、たった半年で前の会社に出戻り。これほど無様なことがあるでしょうか。
「俺はもう、この会社のために人生を捧げよう」
かつて辞めた会社でありながら、私を温かく迎えてくれた、恩人ともいえる会社です。恩人のために命を捧げる。それでいい。
「フリーランスなんて、もうこりごり。俺は会社員でいい。後継として役員の地位は保証されているようなものだから、お金の自由は保障されている。これでいい」と自分に言い聞かせ、心の安定を取り戻せました。
お金の不安から解放されて、毎日ぐっすり眠れて、気持ちよく起きられる朝。
こんなに充実した人生は久しぶりだと感じました。
違和感、再び…
組織の一員として仕事を続ける毎日。最初は「恩人である会社のため、父のため、拾ってくれた社長のため」という気持ちで、目の前の仕事に全力で取り組んでいました。
しかし、またまた組織の働き方に違和感を覚えます。
- なんで当たり前のようにパワハラをする奴がいるの?労基に報告すんぞ?
- 会社が変わらないと若い子入ってこないぞ?今の若い子みんな賢いぞ?
- なんで平等からかけ離れたような考えを持っている経営陣がいるの?時代錯誤にもほどがあるぞ?
- なんで未だに昭和の価値観を引きずっているの?もう令和だよ?
- 俺が役員になったらこの会社は変わるの?いや変えられるの?
など、自分の価値観とあまりにかけ離れた出来事が連続します。そこで、私は考えました。
「俺は本当にこのままでいいのか?このままこの会社にしがみついて人生の終わりを迎えても、本当に後悔しないのか?」と。
ところで、私が小学生だったころに大好きだった、とあるドラマがあります。
何度も地元のゲオでビデオをレンタルして、繰り返し見ていたことを今でも覚えています。
そのドラマは最初のシーンで、自称:天使が「お前の人生それでいいのか?」と、主人公に問いかける場面がありました(天国に一番近い男)。
頭の中で、やけにそのシーンがちらつきます。それも何度も。
Yesと答えることはありません。私の答えはいつもNo。
Yesだと思ったことは一度としてありません。
自由への執念を確信する
Noであるなら、自分はどう生きたいのか?
これを考えていました。そして、とあるUdemy講座のワークがきっかけで、自分の人生を振り返ることになりました。
それは、自分をより深く知るための自己理解のワークでした。
- 自分が本当に求めていることは何か?
- 自分の人生で何を成し遂げたいのか?
- どんなことで周りの人に貢献できるか?
など、自分の人生や価値観を見つめ直すいい機会でした。そこで私は、一つの確固たる答えにたどり着きます。
「自由」です。
- 無意味な校則へ対する違和感
- 協調性を強調される社会
- 自分を偽り会社にこびへつらうかのような気持ちの悪い就職活動
まさに、人生の点と点が線になった瞬間だったと思います。
「俺は自由な人生を生きて、幸せを全うして最期を迎える。これこそが、俺の生きている意味だ」と。
同時に、同じ考えを抱える人と一緒に、自由な人生を目指したい!という気持ちも強く芽生えました。
私のように、社会へ対して「生きづらさ」や「違和感」、心のモヤモヤを抱えている同志を、一人でも多く助けたいと考えたからです。
一度自由を手にしようとするも失敗に終わって、自分の命も終わらせようとした。にもかかわらず、また「自由」を手に入れようとしている。
執念にも似たこの感情は、私が心の底から人生の自由を求めている証拠ではないかと思います。
「やっぱり俺は、人生の主人公として自由に生きたい」
そんな思いを確信できました。
俺が始めた物語
私が大好きな漫画「進撃の巨人」には、「これは、お前が始めた物語だろ」という名言があります。
これは私が始めた物語。
まさにその通りだと感じます。
私の人生は、順風満帆とは程遠かったかもしれません。
どちらかと言えば山あり山あり、そして山ありと、試練続きだったように思えます。
でも、そのすべてが「今」に繋がっている。社会に対して抱いていた違和感も、本気で〇ぬことを考えて絶望していたあの時も、全部伏線だったんです。
こうして自分の人生を振り返ってみると、まるで漫画の主人公みたいだな、と思ったのですが、実際その通りなんです。
私は私の人生の主人公、あなたはあなたの人生の主人公。
決して、「自分はモブキャラだ」と思わないでください。
あなたは誰が何と言おうと最高にカッコいい(かわいい)主人公なんです。
ここまで読んでくれたあなたへ。自由への招待
もし今あなたが、人生に対し生きづらさやモヤモヤを抱えているなら、私から贈りたい言葉があります。
「その違和感、きっと何か意味がある。自由を求めるからこそ、発生する違和感かもしれない」
当ブログは、そんな私からあなたへの、自由への招待状です。
ここであなたに問いかけたいです。
もし「お前の人生それでいいのか?」と自分自身の心の声が聞こえてきたなら、あなたはどう答えますか?
Yesですか?Noですか?
どちらの答えでも、あなたの心からの答えなら尊重します。ですが、もしNoならば、少しでもYesに近づくために、一歩だけでも進んでみませんか?
これから一歩進むだけで、あなたの人生は大きく変わるかもしれません。
当ブログは、そんなあなたの「第一歩」から、「人生の自由を手にするまで」をサポートします。
大丈夫。少しでも「自分の人生を生きたい」と思えるなら、あなたにはその素質があります!
「自分には絶対無理」と思っているなら、そもそも「自分の人生を生きたい」なんて発想は出てこないからです。
断言します。あなたには「自分の人生を生きる力」が備わっています。
だから、こんなどこの馬の骨かもわからない人間のプロフィールをここまで読んでくれたんです。
本当に本当に、心からありがとうございます。
当ブログを通じて、ともに自由な人生に近づいていきましょう。
私も自分の自由のため、同志であるあなたのため、全力で活動してまいります!(応援よろしくお願いします!)